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2012/12/08 新情報 
東ティモールの温泉1 

東ティモール温泉

まえがき

外務省から東ティモールの温泉に行って、その調査結果を相手国に報告してほしいとの依頼があった。それまでは私は東ティモールがどこにあるかも知らず。さっそく世界地図で探した。なんとインドネシアの中央にある島国である。ジャワ島とバリ島の並びにあって南緯10度ほどの位置にある。

大きなニューギニア島の西にあって広大なインドネシアのほぼ中央の島国である。セレベス島の南でオーストラリアの北である。オーストラリアのダーウィンからも航空便が出ている。日本と韓国ほどの近さである。



シンガポール空港の中庭

ティモール島は四国ほどの大きさながら東ティモールはその東半分なので広さは岩手県ほどである。しかし道がわるく東西に長いので中央部にあるディリから東に行くとバウカウという村があるが1日がかりである。

 

また西のマリアナという部落まで行くのも1日がかりである。全部で6か所の温泉に行ったが海岸に湧出している温泉や樋で流れている野湯があるので子供プールが必須だと思った。全裸で入るという習慣も無いために海パンも持参した。

またマラリアの危険地帯なので日本で予防薬を処方していった。これが行く日の前日から飲み始めて帰ってから1週間飲むことになる。9日間の旅行なので16粒の薬を購入したがなんと3万6千円もした。この費用は請求できるのでよかった。



シンガポールからティモールへ行くシルク航空

ほかに考えないといけないのは蚊に刺されないような予防策である。虫除けスプレーを持参して外出前に塗る。そして入浴後にまた塗るということをしないといけない。またさらに予防の意味で携帯用ベーブマットも用意した。

カメラは防水用2台である。電池がそれぞれ3個で日本とは違う210ボルトの電源だが充電器は対応しているので差し口のみ調べて日本とは違う合致する形式のものを持参した。着衣類は半分の5日分持参して1回洗濯するように考えた。



ディリの空港施設は小屋が1つのみ

 

今回の飛行機は羽田着発でシンガポール行きである。夜の11時台に羽田を出発してシンガポールに朝の5時半に到着する。ANAのB763で11時半発翌日5時半着であった。そして9時ごろの東ティモールの首都ディリ行きに乗り換えるのである。シンガポールの空港内でつくね、レバー入りのラーメンを食べた。

シンガポールからはシルク航空のエアバスA319という小型機である。でもジェット機であった。ディリ空港に到着した。驚くことにビルがない、平屋の屋根の高い現地の伝統建築風の建物が入国審査場であった。



空港前の広場

密林のジャングルを想像していたが、それほど木々は多くない。疎林である。乾季に行ったためでもあろうが、都市ガスが整備されていないので木々を日々の炊事の燃料に使ってしまうためであろうか?はげ山のような地形もある。

ディリ市街は車が多く、それに増してバイクが多い。125㏄から160㏄のカブ型のバイクで日本での主流のスクーターではない。これに2人乗りで数多く走っている。道端には商店があり草葺きの屋根のバラックである。地面に商品を並べて売っている。通貨はアメリカドルである。



ホテル前の露天市場

 

私たちは東ティモールでは最高級の日本で言えば帝国ホテル級のホテルティモールに滞在した。しかし日本で言えば場末の古びたビジネスホテルのようであった。建築は3階建てで東ティモールでは大きな建築である。

ほかのほとんどの建築は2階建てである。ついに行かずじまいであったがプールも付いている。ディリだけが自動車があり地方部落に行くとほとんどバイクだけになる。ホテルティモールは白い壁の立派なホテルで部屋はツインの広いものであった。



ホテルティモールの客室

1ピリラ温泉

このピリラ温泉はディリから西に2時間ほどの海岸にあり到着日の午後にさっそく行った。海岸の砂の中から湧出し足元湧出源泉である。熱源があり海水が熱せられていると思われ透明、強い塩味(海水と同じ)、無臭であった。まず熱源の多い地帯をスコップで掘り小さな浴槽を作った。



子供プールを波除けにして堤防を造り、底を掘って30センチくらいの深さになるような浴槽を造った。ここでの湯温は40度くらいになった。源泉は50度から60度はあると思われお尻が熱い。大潮の干潮時のみ現れるということで、北海道の水無海中温泉のようである。



砂浜に大きな犬のような形をした岩が突き出ており、その横に湧出している。砂浜と岩場の境が温泉で風景は素晴らしい。ちょうど夕日になってきたので景観はさらに美しくなった。推測で分析表を作成しないといけないので海水と同じ強食塩泉の60度と推測した。



やや苦味もあるのでカルシウム分を入れて総計25グラムほどの即興の分析表を作成した。ただし、開発してケーシングなどで湧出地帯に源泉施設を造ればさらに温度は上昇し、湧出量も多量にあると思われる。指宿の砂湯や山川の砂湯と同じである。



ここに行く途中に海岸の海水を陸地に引くことをして塩を造っている自然式の塩田があった。草ぶきの小屋が点在し廃墟のようであった。ここで作った塩が道路沿いで袋に入れて売られていた。



2ワイカナ温泉

翌日は11時にホテルを出て東のバウカウという集落に向かうだけである。翌日にさらに山奥に入りワイカナ温泉に行くためである。ホテルティモールの朝食はバイキングで主な食事はやきそばとチャーハンである。これに果物、飲み物、パンが付いている。多種類の果物がありここが熱帯に来たという思いが伝わってきた。



東ティモール第2の街バウカウに行く。車で3時間ということであったがさらに時間が掛かりバウカウに着いたのは夕刻であった。というのもディリで少々観光をした。

まず88食堂という店で海鮮ヌードルを食し、地元の市場を見学した。現地人が赤い木片を噛んでいる。私も試してみた。梅干しのような木片(固い)ものと石膏のような白い粉、草の茎を一緒に噛む。これが煙草のようなものだと説明されたが、強烈なめまいがして、酔いを発した。一時酔いが強烈で座り込んでしまった。これは1ドル弱なので以後使わず捨ててしまった。



ピンク色のきれいなホテル

地元のビールはタイガービールが主流である。ほかにギネスのようなコクの強いビールもあったが、いつもタイガービールを飲んでいた。

旧ポルトガル植民地時代の市場跡の残るバウカウのピンク色の外壁のきれいなホテルに泊まった。バウカウでは良い方のホテルである。海の見えるテラスが付いておりリゾート気分になった。小高い丘にある市街で斜面に草葺きの小屋の現地人の家が点在している。旧市場跡はヨーロッパの意匠で約400年の歴史があるという。

ワイカナ温泉全景

ホテル近くのレストランで焼き魚と肉の料理が本日の夕食であった。日本の温泉に比べ、一つの温泉に行くのに宿泊してゆかなければならないのは大変な方であろう。翌日朝からワイカナ温泉に向かう。道が舗装してなくなり、約40分は悪路の林道である。



林道の終点が温泉である。きれいな透明な温泉が長さ25メートル幅7メートルほどの大きな湯だまりになっていた。日本で言えば南紀の川湯大露天風呂であろう。ここは上に源泉の川がありこの湯溜りに2か所から流れ込んでいる。そして入浴してみると足元からも湧出している。

源泉地付近は野湯

流れ込んでいる付近は32度ほどのヌル湯で足元湧出付近に行くと35度ほどであった。透明、少苦味、石膏味、無臭であるが上から流れ込んでいる部分は仄かな硫黄臭があった。おそらく分析表に載らないほどの少量であろう。



HS 0.1~0.2であろう。ここでの分析表造りは総計1500㎎ほどの石膏泉だと推測して、カルシウム、ナトリウム、硫酸塩泉として作成した。



流れ出す部分は小川になっており、この温泉の湧出量は毎分300~400リットルであろう。バウカウから約2時間で山奥でありながら各所に民家が点在しており都市集中型の日本とは違う。山奥でも自給自足して生活していることがわかる。昔の日本でもそうであったろう。




旧日本軍が掘った防空壕もありこんな山奥にも日本軍が行ったとは驚きであった。この日はバウカウを経由して一気にディリに帰った。



有名なビーチの景色

 

 

 

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