元のページに戻る
2011/04/10 東北 関東 
有名温泉地の塩原と中三依温泉、まるみの湯 

1      大網温泉 湯守田中屋 再訪 

野天風呂 川沿いの露天風呂 一番下の川沿いは足元湧出および横から流入 

連休の頃、南会津は美しい。白い山を背景に、雪解けと新緑の最中ながら桜が咲き、紅葉の頃と是非をつけがたい美しい季節である。この会津が大好きで中学1年の時に会津若松にSLを撮影に行ってから10回以上に渡り南会津の山村に惚れて、通い続けている。以前は若松機関区にSLが大集合しており、ターンテーブルの付いた機関庫にC58やC11がたくさん留まっていた。そのうちC11が日中線や会津線、只見線を走り、ダム湖と鉄橋の美しい車窓風景を織りなしていた。毎月のように会津磐梯周遊券を買って、夜行急行で出かけていた。その頃は会津磐梯地区を廻れる周遊切符が学割で1800円であった。上野23時50分発のばんだい5号には毎度の客であった。これに乗ると会津若松で5時10分発の熱塩行きのSL牽引列車に接続していた。また会津線の滝の原(現在の会津高原)行きや只見行きにも接続が良かった。



この度も、35年間にも渡る「会津行き」を懲りることもなく計画した。塩原を経由して南会津の木賊温泉や湯の花温泉に行こうと思い旅立った。また茅葺きの宿に泊まりたくて、茅葺きの残る、全国でも数少なくなった地域に出かけた。



まず塩原の谷に沿って行く。大網温泉は平野から坂道を登り、塩原の渓谷が深くなって滝や道路の屈曲が多くなってきたところにあり、塩原温泉の入口の温泉である。塩原という名の温泉ながら、この湯だけは芒硝泉で奇麗な湯である。深い谷底に向かって300段以上の階段を下る。かなりの高低差があり、帰りが疲れそうだ。



渓谷の川沿いにたどり着くと、上に2つの露天風呂と川沿いに2つの浴槽がある。上の露天風呂は男女別であるが、下の川沿いの2つは混浴である。大岩の横にコンクリートで固めた「石間湯」露天風呂と、洞窟風にコンクリートの屋根を付けた半露天風呂の「河原湯」がある。



河原湯の洞窟風の浴槽は足元が砂で、天然岩が露出した気持ちの良い浴槽である。足元湧出の温泉も少量あると思われるが横のホースから温泉を入れていた。川と同じレベルの浴槽で川に迫り出して造られている。



上の露天風呂は「仙郷湯」と命名され玉石の大きな広い露天風呂で渓谷の眺めが美しい。透明、石膏味、少湯の香と観察した。感触は芒硝泉特有のキシキシである。重曹や炭酸イオンを含まないのであろう。 

 

2      中三依温泉 男鹿の湯 再訪  

 石膏泉の冷鉱泉 循環 

塩原の渓谷を過ぎると、中塩原の平地に着く、そこから元湯に登ってゆくのであるが、今回は好きな元湯も新湯も行かずに、国道400号線のトンネルで峠を越えた。鬼怒川の上流で、すでに男鹿川と名前を変えた谷に出た。以前は日光塩原ライン(日塩もみじライン)で延々と峠道を走り新湯の横を通り、鬼怒川温泉に出ていたが、尾頭トンネルの開通によって会津方面のメインルートになった。



古い地図だと塩原元湯から林道で鬼怒川沿いの121号線に抜ける道も書いてあったが、すでに廃道のようだ。昔はRH250という2サイクルのオフロードバイクに乗ってこの辺を廻ったことがある。そのときでも行けなかった。近くの安が森林道や田代山林道、川俣桧枝岐林道、山王林道などを走り回った。昔は奥鬼怒温泉の加仁湯や手白沢温泉にも林道で行けた。もう20年近く前である。

121号線に出ると、明るい沢筋である。鬼怒川から川治にかけての大きな沢の渓流も細くなり源流部の様相を見せてきている。旧会津街道の宿場のような三依に温泉があり、男鹿の湯という日帰り温泉があった。かつて「るるぶ首都圏日帰り温泉300」の取材で栃木、茨城県を担当したので、ほとんどの温泉センターはそのときに廻った。しかし古い記憶になり再訪してみた。



小さな建築に1つの浴槽の簡素な施設で伊豆石の縁にタイル浴槽である。天井の高い湯小屋である。湯は総計2308mgの芒硝石膏泉で、23.3度の鉱泉が加熱循環で利用されていた。透明ささ濁り、苦味あり渋味残る、微々硫黄臭ありと観察した。個性的な源泉ながら循環で新鮮さがなくなっていたのが残念である。

 

3      まるみの湯温泉 民宿みより荘 再訪 

 古い木造の造りの宿と小さな共同湯のような浴室 循環

 

まるみの湯も97年度版「るるぶ首都圏日帰り温泉300」で取材して以来である。この本が私の一番初期の温泉記事である。ここは簡素な共同湯風の造りで良い記憶になっている。しかしそれ以来10年以上の日時が経っている。早いもので、私はこの間に200冊を大きく超える月刊誌。雑誌、新聞から銀行社内報に至るまでいろいろと寄稿している。現在私の書棚には「旅」「通販生活」「自遊人」「大人のウォーカー」「毎日新聞」「温泉」などの連載誌から「山渓」「CanCam」「OZマガジン」に至るまでのさまざまな掲載誌で埋まっている。



まるみの湯は以前と同じ形で残っていた。簡素な湯小屋で浴槽は桧浴槽である。宿の本館が古い民家の造りでここに泊まりたくなるような雰囲気であった。民宿みより荘という。離れが湯小屋である。13.5度の芒硝泉で総計1005mgというほぼ単純泉に近いものである。



しかし1グラムという規準は意外と個性を発揮してくる境であるのか、透明、無味、無臭かなと思ったが、味覚にはっきりと石膏苦味が感じられた。しかし湯は加熱循環で新鮮味はなかった。共同湯のような梁の出た天井の造りと渓流の眺めが美しい温泉であった。

 

※   太郎温泉 不在 

水仙と桜が満開の桃源郷のような美しい沢を遡り、太郎温泉に行くが誰もいなくて入浴できなかった。隣の渓流釣り堀は営業していた。水色のペンション風の建築で「山宿観峰」という宿である。アルカリ性単純温泉が湧出している。

※画像をクリックするとさらに大きな画像がご覧になれます。
この画面に戻る際はブラウザのバックボタンで戻ってください。
元のページに戻る
 このページの先頭へ
Copyright c 2010 Isamu Gunji All Rights Reserved.